国立アイヌ民族博物館研究紀要
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1850 年代後半、箱館奉行による種痘での痘苗
永野 正宏
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2022 年 2022 巻 1 号 p. 40-55

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抄録

江戸幕府の出先機関である箱館奉行は、1857(安政4)年から1859(安政6)年にかけて、北海道(ただし、本稿において当時の松前藩領を除く)および樺太でアイヌに対して種痘(伝染性疾患の一種である天然痘の予防接種)を行った。本稿では、この時の種痘における痘苗(種痘の接種材料、弱毒化したウィルス液)に着目し、調達した痘苗の種類、調達方法、調達経費の大きく3 点について考察を加えた。まず、種類は、痘痂(天然痘感染による瘡蓋)と痘漿(天然痘の水泡から出る膿汁)が痘苗として調達されたといえる。調達方法は、痘痂は瓶に入れられて江戸から箱館まで届けられた。痘漿は、桑田立斎については、江戸から箱館まで植え継ぎ、また、箱館から蝦夷地においても植え継いで実施した。巡回種痘を休んでいる間の痘漿の維持は、箱館市中において定期的に種痘を繰り返して植え継ぎ、維持し続けていたものと考えられる。痘漿提供者の確保は、種痘事業の実施前後を問わず幕府、ひいては箱館奉行が行なっていた。調達経費だが、支出対象は痘漿提供児者、その保護者および付添者と考えられる。支出負担者は、種痘開始前、桑田立斎は自身が負担した。種痘開始後は、史料が残っているモンベツ(現 紋別市ほか)近辺では種痘実施地の箱館奉行所の御用所が痘漿提供者の手当を負担していたといえる。

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© 2022 本論文著者
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