東南アジア -歴史と文化-
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蒲甘國史事零拾
Gordon H. Luce's Old Burma―Early Pagán書後
饒 宗願
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1975 年 1975 巻 5 号 p. 3-13

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抄録

Luce 氏の著書は甚だ勝れたものであるが, 漢籍としては蛮書と嶺外代答・諸蕃志を引用しているに過ぎないので, その他の漢籍資料によってこれを補ってみよう。
李根源氏の永昌府文徴, 方国鍮氏の宋史蒲甘伝補 (文史雑誌II. 11, 12) には〓鼎臣, 東原録の記事が引かれているが, これは誤で, この紀事は本来は張知甫の可書にみえている。宋代の史料として重要であるから全文を掲げる。そこには紹興丙辰 (6年, A. D. 1136) の大理国・蒲甘国の使者入貢の記載があり, 玉海 (巻153), 宋会要 (巻199蕃夷) にも関連記事がある。蒲甘は大理に対して附庸の関係と認められる。大理の使者に関して記されている彦賁という文字は官号である。宋代には大理国行程, 蒲甘国行程という本があったが, 後者は紹興年間には既に失われていた。崇寧5年(A. D. 1106) の蒲甘の入貢は Kyanzittha が大理の圧迫を受けて宋と結ぶ目的で派遣したと解されている。緬 (蒲甘) は崇寧2年 (A. D. 1103) 政和5年 (A. D. 1115) にも大理に入貢しており, 大理ではその頃高氏が政権を握っていた。大理の宋への入貢の様子 (A. D. 1115, 16) は宋史大理伝に記されているが, 湖南経由の陸路をとるもので, 海路によったものではない。大理では仏教が広く行われ, 金書, 金銀書の経文を宋に奉っているが, 大威徳経と伝えられているのは大威儀経の訛であろう。ニユーヨークのメトロポリタン博物館所蔵の大理文治9年 (A. D. 1118) の金書の維摩経は重要な史料である。ビルマ人は大理を Gandhala とよんでおり, また Tarup=Turks とは“唐土”を指し, Utibwa (梵語 Udaya, 日の出) は吐蕃が南詔に与えた王号“日東王”に当る。Pyumandhi, Physawhti は驃苴底に当り, man, saw (chao) は共に王を指す。南詔野史にみえる祖先神話には仏教信仰があると共にこれを東亜人類の祖先となしている。元と蒲甘との関係についても趙子元の賽平章徳政碑, 李源道の崇聖碑などの史料を参考すべきである。台湾中央図書館所蔵の緬旬諸夷考略は乾隆年間の精写本であるが, 注目すべき記載がある。

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