明治40年3月,法律第11号の公布により,長年懸案であった日本の「らい対策」が始動することになった。内務省は,この法律に基き明治42年4月,全国に5カ所の道府県連合立らい療養所(以下,公立療養所と略す)を設置することになった。当時,内務省衛生局長であった窪田靜太郎は,後年次の様な意味の回顧談を残している(1)。即ち,療養所の設置にあたり,当初,施設費及び経常費は国費で賄うことを考えたが,実際には道府県に応分の負担をしてもらうことになったと。これは施設運営に関する経費支弁についてふれたもので,管理運営上の国立療養所設置にふれたものではない。その事は,次に述べる沖縄県での臨時国立療養所設置でも明らかである。