史学雑誌
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古代国家における陵墓歴名の成立とその変遷
『延喜式』陵墓歴名の分析を手がかりに
二星 祐哉
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2019 年 128 巻 12 号 p. 33-61

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抄録

『延喜式』陵墓歴名には、天皇やその近親者など計百二十の陵墓が列挙されている。特に『弘仁式』墓歴名の配列や陵墓歴名の成立をめぐって、新井喜久夫氏と北康宏氏の両説が対峙している状況である。そこで本稿では、『延喜式』陵墓歴名から『弘仁式』部分を抽出し、その配列方針を検討することで、陵墓歴名の成立時期や作成目的について考察した。
原陵歴名には、天皇陵の他、天皇の生(祖)母、即位天皇に準じて扱われた天皇の父や諸皇子女、先例となる伝承をもち、かつ王位をつぐ可能性の高かった人物の墓などが存置順に配列されていた。その成立時期は、生母墓や先例となる伝承をもつ皇子墓の編入の初例が見られる欽明朝であった。原陵歴名とは、皇位継承の正統性を保証するために、国家的な守衛の対象となった陵墓を管理するために作成された台帳であった。
大宝令が施行されると、原陵歴名は天皇陵のみを記載する陵歴名と、それ以外の墓を記載する墓歴名に分化された。その墓歴名には、天皇の生母(三后)、天皇号を追尊された人物、先例となる伝承をもつ人物の墓などが存置順に配列されていた。大宝令施行後の陵墓歴名には、荷前陵墓祭祀の対象陵墓を管理するための台帳としての性格が新たに加えられた。また、八世紀半ばころから、血縁意識が高まり、三后や天皇の父の陵墓が陵歴名に加えられ、桓武朝には外祖父母の墓が墓歴名に編入されるようになった。こうした律令陵墓制の変質をうけ、陵墓歴名は『弘仁式』墓歴名で再編されることとなり、また『延喜式』陵墓歴名に受け継がれた。
以上のことから、『延喜式』陵墓歴名には、六世紀初頭以降の政治過程や皇位継承をめぐる状況がかなりの確率で残されていたことが明らかとなったと言える。

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