2013 年 39 巻 p. 97-108
東京帝国大学の教授であった村川堅固は,明治44 年に雑司ヶ谷に自邸を建て,その後,大正4 年から同15 年までの間に勝浦,我孫子,鵠沼に次々と別荘を持った。自邸は,近代に多くみられる中廊下型の平面で,その様式のうち最も初期に建てられたものの一つである。別荘の平面は,我孫子の母屋は武家住宅と同様の形式で,次に建てた鵠沼の家屋は近代和風の雰囲気を持ち,その次の我孫子の新館は全くの独創で,屋内は洋式で生活するように建てた。そこには,堅固の住宅に対する考え方と,それが変化していく様子が窺えるとともに,新しい住まいの形式で良いと判断したものは積極的に取り入れる,都市中流知識層の住宅への考え方があらわれている。