住宅総合研究財団研究年報
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雲南省ナシ族母系社会の居住様式と建築技術に関する調査と研究(2)
浅川 滋男田中 淡江口 一久溝口 正人杉本 和樹高岡 えり子王 恵君何 耀華何 大勇
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1994 年 20 巻 p. 99-116

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抄録

 昨年度の西北雲南およびチベットにおける蔵緬語族住居の広域的調査に引き続き,本年度は雲南省寧莨県に対象地域を限定して,永寧モソ人母系社会と小涼山イ族奴隷社会の住居と集落に関する調査を行なった。とくに,中心となったのは永寧郷落水村での調査である。落水村は濾沽湖畔に線状集落を形成するモソ人の下村と,山裾に立地するプミ族の上村から構成される。モソもプミも蔵緬語族に属し,ともに「羌」系古遊牧民の未裔と推定されるが,モソのほうがより古参の土着集団で,アチュ関係(妻問婚)を軸とした母系社会を基盤とするのに対し,プミは13世紀のモンゴル軍侵攻に加担した移住者であり,本来は「一夫一婦」を軸とする父系社会を原則とする。ところで,濾沽湖に依存する生業経済を背景にして,社会変容の主導的役割を担ってきたのは下村のモソ社会のほうであり,新参集団の上村(プミ族)は下村に従属する立場に立たされてきた。この結果,落水村におけるプミ族の社会・文化には,「モソ化」が著しく進行してきたものと思われる。この傾向はとくに住居形式に顕著であり,すでにプミ族住居とモソ人住居の同化が完了した段階にあるといってもいい。また,居住様式についても,本来父系社会であるはずのプミ社会が,「一夫一婦」を原則として維持しつつも,家長が女性長老で,下村その他から夫を迎える「婿入り婚」を軸にした母系社会に変容しているようにみられた。本報告では,落水村におけるモソ住居とプミ住居を4例とりあげて,それぞれの実情をくわしく記述するとともに,社会変容と居住空間の関係について考察した。小涼山イ族の住居については,3か所で調査結果を示しつつ,とくに炉のまわりの空間分節と着座規範に注目し,それがモソ人の住居における「下の炉」まわりの空間構造とも近似することを指摘した。さらに,西北雲南の建築的系譜については,①新しく発見された棟持柱式建物の位置づけ,②累木式構造の系譜について考察を加えた。

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© 1994 一般財団法人 住総研
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