いま世界では、「霊性の時代」といってよい徴候が、静かに、しかし着実に進行しつつある。本稿はこの時代意識を背景に、私の「日本的霊性とキリスト教」の統合の歩みを、理論化したものである。日本において、霊性の概念を初めて正面きってとりあげ、定着させるのに大きな役割を果たしたのは、鈴木大拙であった。そしてこの大拙のいう日本的霊性の自覚を、哲学と論理の形で表現したのが西田哲学である。西田哲学は「心霊上の事実」に立脚しており、カール・ラーナーの神学とも深く相通じるものがある。私は両者の比較から、西田哲学の「絶対無の場所的論理」は、キリスト教の観点からは、「聖霊論的思考の論理」とみなさるべきことを確認できた。私の聖霊神学の発想は、ここから生まれてきたといえる。そしてこの聖霊の宗教としてのキリスト教は、鈴木大拙の日本的霊性と結びつくのみでなく、新しい宗教改革に導く、世界的、普遍的なものであると思われる。