聖学院大学
2010 年 29 巻 1 号 p. 1-28
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本稿は、第二次世界大戦期イギリスにおいて、革新的主体、保守的主体によって発表された医療制度改革構想の間には、改革「目的」・「手段」に対するコンセンサスではなく、対立関係が存在していたことを明らかにした。そして、その対立は「医療市場」の成否を分水嶺としており、議論の進展の過程において、革新的主体の圧力の下で、徐々に「医療市場」に対する規制が保守的主体の構想の中で強化されていったことを明らかにした。
医療福祉政策研究
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