太成学院大学紀要
Online ISSN : 2423-8945
Print ISSN : 1349-0966
ISSN-L : 1349-0966
ガウランド撮影の大山古墳(仁徳陵)と石津ヶ丘古墳(履中陵)の2枚の写真の再検討
明治5年前方部中腹出土の石室・石棺の移設の可能性
中井 正弘
著者情報
研究報告書・技術報告書 オープンアクセス

2013 年 15 巻 p. 257-260

詳細
抄録

明治5年から同21年まで大阪造幣寮(現・造幣局)の御雇外国人技師として在日したウイリアム・ガウランド(1842〜1922)は,日本古墳研究のさきがけ者として,その功績は有名である。彼の撮影した大山古墳(仁徳陵)および石津ヶ丘古墳(履中陵)の写真2枚およびこれまでの研究・調査成果をふまえて,明治5年暴風雨により前方部中腹にて露出した石室・石棺がその場で単に埋め戻されたのでなく,墳頂に移設された可能性が高いことを明らかにし,非公開になっている陵墓の古墳研究の一助としたい。

著者関連情報
© 2013 太成学院大学
前の記事 次の記事
feedback
Top