2016 年 65 巻 6 号 p. 36-45
石川淳「義経」(昭和一九年七月)は、表現が厳しく抑圧されていた戦時下において、〈学徒出陣〉という極めて時局的な題材を取り上げた作品である。〈学徒兵讃歌〉として読める側面を持っているため、〈迎合的文章〉と見られることを嫌ってか、戦後、著者生前の刊本等に収録されることはなく、ほぼ忘れられた作品となっていた。しかしこの作品は、時局的な題材を取り上げ、〈迎合的文章〉の体裁をとることでアリバイを作りつつ、戦時下には直接描くことの困難であった、学徒兵のやり場のない思いや、その両親の悲しみや苦しみを、巧妙に描き込んでもいる。表現者にとって厳しい状況下において、多少なりとも表現の可能性を切り開こうとした、意欲的な創作として評価できる側面も持っていたのである。