清泉女子大学
2008 年 57 巻 10 号 p. 12-22
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江島其磧は『役者口三味線』で役者評判記の基本形を打ち立てたが、一方で江戸と大坂の巻に「弱さ」を残し、京中心の傾向も強かった。この点を『口三味線返答役者舌鼓』という論駁書により、手厳しく指弾される。これを受け其磧は『役者万年暦』で、せっかく整えた『口三味線』の型を大きく変更し、次の『役者略請状』で再び『口三味線』の形に戻す。批判に対する過剰反応と、販路拡大を狙う模索ゆえの<揺れ>と言えよう。
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