イタリア学会誌
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Pasolini critico della poesia dialettale e del canto popolare
土肥 秀行
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2006 年 56 巻 p. 16-41

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抄録

1950年にフリウリ地方からローマに移住したピエル・パオロ・パゾリーニが、それまでの方言による活動に終止符を打つのは1952年の方言詩のアンソロジー『20世紀方言詩Poesia dialettale del Novecento』と1955年の民衆詩のアンソロジー『イタリア歌撰:民衆詩アンソロジーCanzoniere italiano: antologia della poesia popolare』の編纂を通してである。本論ではいまだ十分に探求されていない方言詩と民衆詩の「評論家」としてのパゾリーニに焦点をあてる。1940年代よりかかえる大衆主義にひきずられながら、ネオレアリズモというよりも19世紀的な自然主義を踏襲する反動的な姿勢が、パゾリーニの方言詩アンソロジーにみられる。その一方で、パスコリを20世紀方言詩の先駆者として再評価し、正統なイタリア語詩とパラレルなものとして方言詩をとらえている。そのためエルメティズモの詩人たちとの近似を指摘しながら、20世紀方言詩人の新しさを主張するのである。しかしパゾリーニも参照するコンティーニの定義をかりるならば、ここでの彼は「単一言語主義」の範疇に留まると考えねばならない。なぜなら方言詩はイタリア語詩の「翻訳」であるとの1940年代の主張をなおも繰り返すためである。「単一言語主義」と「多言語主義」のアンチノミーはパゾリーニにおいて後退し(これらの概念が入り乱れ、擬似ガッダ的な自由間接話法が、パゾリーニのローマを舞台にした短編群においてうまれる)、やはりヴェルガに代表されるヴェリズモの影響下にあることは叙事詩を重要視する姿勢からうかがえる。ディコトミーの図式をかりて論を進めるのが評論家パゾリーニの常であるが、結局モデルは溶け合い、自己言及的な言説が残る。序論をしめくくるのはフリウリ方言詩のセクションであるが、方言を使った純粋詩的な自らの試みの斬新さが語られる。こうして1940年代の「実験主義」を再び正当化する一方で、方言詩アンソロジーの後半を構成する詩篇群におさめられた自らの作品は、フリウリとローマの間で書かれた叙事詩的なものが主であった。これは1954年に発表されるパゾリーニ方言詩の集大成『最良の青春La meglio gioventu』の編集意図を予言するものである。方言詩アンソロジーの好評をうけて行った民衆詩の収集は、記録性が高く、かつ民俗学的・人類学的な性格を帯びる。しかし背景にはロマン主義を継承する、民衆にあまねく「詩」を見出そうとする理想があった。パゾリーニが追求する新たなロマン主義は、あきらかにクローチェの影響下にある。しかし集団(無名性)と個のアンチテーゼに対しては、パゾリーニは創造的な「タイプ」という概念を提起し(ここではグラムシが民衆詩にみるイデオロギーも軽くこえられてしまう)、創造的な「翻訳」によるヴァリアンテ(Donna lombardaといった有名な歌について)を次々と挙げる作業がイントロダクションにおいて主になる。そのため地方毎にセクションは分かれていても、横断的に民衆詩を語り、各地方の歌に共通する技術的な側面、定型(strambottoなど)をめぐって論は展開されるのである。そして北部では物語風の歌、南部では単連詩、とそれぞれの特色を挙げる。ここでもみられる叙事詩への高い関心は、その強い伝統のあるピエモンテの方言詩をみずからの方言(フリウリ方言)によって「翻訳」するといった作業に結実する。それはまたローマでうみだされる新たなイタリア語詩(詩集『グラムシの遺骸Le ceneri di Gramsci』)へも響いていく。こんにちでは、方言詩史家ブレヴィーニも言うように、パゾリーニの方言詩アンソロジーは歴史的価値しかもちえない。しかし一方で、自らの方言詩を語るパゾリーニのオリジナルなマニフェストともとらえられなくもない。また民衆詩アンソロジーは、数少ないこの手の研究の先駆けとなっている(各地の既存の刊行物を参考にして編纂したとはいえ)。詩や小説の創作活動とあわせて考えたとき、これら二つの評論家としての仕事は、フリウリからローマへと渡ったパゾリーニの変遷を証言してくれている。

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