女性誌『新女苑』を中心に、「教養」の二重基準化が、人文系学問領域への女性の参加を促しつつも、作家への成長を阻害する構造を論じた。川端康成の指導によって、投稿の題材は狭められ、読者の行動範囲も家庭内に限定されていくが、そのような女性の限定的な役割が、普遍的であるかのようにイメージされていく過程を、戦時の状況とも合わせて分析した。また、誌上では〈教養=職業〉が強調されるため、仕事を持たない投稿者たちは、執筆を仕事であるかのように、真剣に、継続的に行うことで自己の存在意義を確認しようとしていた。だが、それこそが、執筆行為から、地位や報酬を捨象するレトリックであったことを述べた。