しばしば指摘されるように,子どもたちは,学校生活を通して共同体や社会の一員としての感覚を培っていく。すなわち,彼らは共同化されていく。しかし,共同化には「私たちのクラス」や「私たちのグループ」といった多様な層が備わっているにもかかわらず,こうした層は,教育学において,ほとんど注目されてこなかった。本稿では,共同化に備わる重層性という観点から,学校生活における友人関係についてのインタビューで語られた,子どもたちの実在的で個別的な他者経験が解明される。我々は,非主題的に共に機能している他者と一体となって我々共同体へと共同化されているがゆえに,各人にとって近づきうるという意味での客観的世界を経験できるのであるが,こうした他者は,匿名的で理念的な他者でしかない。他方,具体的な他者経験において,我々は,実在的な我々共同体へと共同化されており,個別的な他者は,実在的な我々共同体から,あるいは他我性一般から際立って現われてくる。例えば同級生が他我性一般からのみ際立って現われてくるといった場合には,一見すると友好的な関係を築いているように思われても,子どもたちは,しばしば辛い思いを抱くことになる。それどころか,イジメのような深刻な事態においては,子どもたちは,他者の中の一人になるという仕方で自己を他者化できないため,非常に脆い基盤によって自己の経験を支えなければならなくなることもあるのである。