『釈摩訶衍論』(以下釈論と呼称する)の巻第二は、『大乗起信論』(以下起信論と呼称する)の解釈分冒頭における一心二門の記述を主な解釈の対象としている。その略説分において釈論は、起信論の真如門を高く評価すると同時に、厳重な制限付けを行ってもいる。それはおそらく真如門を軽視するということではなく、大乗仏教思想の粋である真如門をさらに凌ぐ真理である不二摩訶衍法の存在が想定されているからである。釈論にとって不二摩訶衍法は、それ以前の既成の真理概念を全て相対化する、新たな転法輪のごときものであったと筆者は推測する。そしてこの推測を前提とする時、釈論の幾つかの難解な記述の解釈が可能になると思われる。本論は具体的な事例に即してこの解釈を展開するものである。