日本地理学会発表要旨集
2023年日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 320
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東ネパール・ソルクンブー郡におけるヤク・ウシ交配種の家畜交易
*渡辺 和之白坂 蕃
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抄録

1960年代以前、チベットとネパールの間では塩や穀物などを家畜の背に乗せてヒマラヤ山脈を越えて交易がおこなわれていた。この交易は1960年代のチベット動乱を境に衰退し、人や物の輸送は自動車道路に移行したことが知られている。しかし、ヒマラヤ越えの山道の交易はその後も小規模に継続した。特に荷役に使われていた家畜は交易の対象でもあった。ヤクはウシと交配し、ゾム(♀)やゾプキョ(♂)という交配種を作り出していた。東ネパールのソルクンブー郡では、エベレスト登山や観光化に伴い、ヒマラヤ越えの交易で用いたヤクやゾプキョを登山隊やトレッキングの荷役に転用し、交配種であるゾプキョの生産も現在まで残っている。ただし、近年では交配に用いるウシがチベットから入手しにくくなった。また、ソルとクンブーでは家畜の交配に使用する家畜が微妙に異なり、交配種の用途にも地域的な差異があった。本研究では、ソルからクンブーを経てチベットに向かうヤクの道を通る荷役用の家畜に注目し、ソルとクンブーの交配業の地域的差異や近年の変化を明らかにする。結果として以下の3点が明らかになった。 (1)クンブーよりも村の標高の低いソルでは、ヤクの移牧と同時に村では牛の舎飼いもおこなわれている。ヤク(♂)とナク(♀)を飼養し、ウシと交配してゾム(♀)・ゾプキョ(♂)を生産人たちとゾム・ゾプキョを購入し、肥育する人たちがいる。後者はゾムを乳用に群に留めおき、ゾプキョは肥育して荷役用にクンブーへ売る。かつては高所を通る「ヤクの道」を通ってヤクやゾプキョがソルとクンブーを行き来していたが、現在では「下の道」を経て冬にゾプキョを連れて行く。(2)クンブーでは、ヤク、ナク、ウシなどの家畜はすべて移牧で飼養する。家畜は農耕がはじまると収穫まで村の周辺から追い上げる慣行があるためである。クンブーでヤクやナクとの交配に用いるのは高地種のウシである。生産したゾプキョはナンパラ峠を越えてチベットへ輸出していた。しかし、近年では高地種のウシ(phulang)がチベットからこなくなった。また、チベット側では道路の開通や輸送の機械化に伴い、ゾプキョを必要とする人も減っている。このため、残った高地種ウシを使ってヤク・ナクとウシを交配し、種の保存をおこなっている。(3)クンブーで登山や観光客の荷役に使うのはヤクやゾプキョである。ゾプキョについては、クンブーで交配したもの、ソルから購入したものが用いられる。前者も後者も高所での荷役程度では問題ないが、前者はナムチェ(3440m)から下へは下ろせない一方で、後者は飛行場のあるルクラ(2840m)から低所にも下ろせる。近年ではナムチェ以下ではラバによる輸送が増えており、自動車道路もルクラから2日下ったタクシンドゥまで延伸している。ヘリによる物資の輸送もおこなわれているが、まだ家畜による輸送の方が安い状況である。ヤクを飼養する人も減少している。高所に位置するクンブーでは、家畜の糞は肥料や燃料として不可欠である。ただ、若年層は家畜を飼養した経験がなく、農業労働は他地域から移住した人に任せることができても、家畜の放牧は任せられず、地元に残ったシェルパが飼養している。 高地種のウシ不足から生じた荷役家畜の供給は、今の所、標高の低いソルで交配したゾプキョやクンブーで生産したヤクによる輸送で補われている。ただ、現地ではヤクの飼養者も減っており、種の保存のみならず、観光地の景観や特産のジャガイモなどのクンブーの農業にも影響を及ぼしかねない課題を抱えている。

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