日本地理学会発表要旨集
2022年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 451
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食品系工場跡地における都市再開発と地域への影響
-兵庫県尼崎市を事例に-
*松田 千優
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抄録

Ⅰ.問題の所在と研究目的

 近年、都市内部において工場跡地の開発が盛んにおこなわれている。工場跡地の開発について、地理学ではインナーシティの再開発に関する都市地理学研究と工業立地論に関する経済地理学研究という主に二つの立場に別れて行われてきた(永野 2009)。前者が都心回帰や新築のジェントリフィケーションといった現代都市がおかれる文脈に注目した研究を行うのに対して、後者の立場からは主に個別の経済主体、つまり企業の立地戦略に注目して工場跡地転用の実態が分析されてきた。また、後者の研究では食品系工場を事例に、業種の違いにより転用後の跡地利用に差異が生じることも示唆されている。

 以上の研究動向は、それぞれの立場から見た開発の意味を指摘するのみで、実際の開発過程は十分検証されていない。そこで本研究は食品系工場の跡地開発を事例に、都市内部の工場閉鎖と用地転用の実態把握を行い、その結果を開発主体の意図や都市社会問題の解明に照らし合わせ、工場跡地開発が地域に与える影響を考察する。

Ⅱ.工場配置の動態と跡地利用

 工場配置の動態について、既往の研究は関東地方の事例かつすべての業種を対象としたものが多いため、本研究では近畿地方、特に工場の多い大阪府と兵庫県を事例地とし、工場配置の動態把握を行った。その結果、1990年代以降、特に2010年代に第二次世界大戦以前に設立された工場が多く閉鎖され、郊外での新たな工場設立や都市部付近での閉鎖が多いことが明らかになった。

 工場跡地の利用ついて、食品系工場跡地は都市的開発を行うことに適した都市内部と、沿岸部や工場の密集する工業地帯に分布することがわかり、その用地の特徴に応じて開発が行われていることも示された。また、特に大都市近辺では工場の撤退が多く、跡地において都市的開発が行われていることも明らかになった。

Ⅲ.兵庫県尼崎市における食品系工場跡地再開発の事例

 工場跡地が再開発された具体的な過程の検証を、尼崎市におけるAとB二件の事例を取り上げて行う。Aの開発は1918年に操業開始し、1996年に閉鎖されたα社工場の跡地開発で、2009年にまちびらきをむかえている。Bの開発は1921年に操業開始、2013年に閉鎖されたβ社工場の跡地開発で、2016年にまちびらきが行われた。以上を比較すると、閉鎖からまちびらきまで期間の開きがあり、再開発の経緯は異なる状況にあったと想定できる。

Ⅳ.工場跡地再開発の意思決定と諸主体間の関係

 上記の二事例について、聞き取り調査や関係文書の精査によって開発主体の意図が再開発の経緯にどのように反映されたのかを明らかにする。Aについては、開発経緯や工場の撤退、α社の再開発へのかかわりを確認した。その結果、工場への用地提供の要請や工場撤退といった開発をめぐる行政と企業との関係が複雑化・長期化し、工場撤退の予定がないまま開発が開始されたことや、テナント選定の難航からまちびらきが遅れたことが明らかになった。

 一方、Bについても開発経緯やγ社の関与、市独自の規制が与えた影響を検討した。その結果、行政側が当初から開発計画へ十分関与できず、その場所に工場や研究施設の誘致を要請していたが果たされなかったこと、住民説明会における開発自体や行政・事業者への不満、そして税評価変更に伴う固定資産税上昇などの問題が発生していたことが明らかになった。

 二つの事例を比較して検討すると、開発の中心となる主体の違いにより、経緯が異なることが明らかになった。それは開発が進む速度の違いにも表れていた。全ての工場が単一的理由によって閉鎖されるわけではなく、また、都市中心部にある工場跡地の開発であっても、必ずしも行政が都市的開発を求めるわけではない。跡地開発については工場を所有していた企業とともに、開発主体となるデベロッパーの意思が強く反映される。工場跡地の開発プロセスを十分に理解するためには、こうした複数の主体がそれぞれどのような関係を結んでいるのかに注意することが必要であろう。

Ⅴ.まとめ

 本研究の検討により、食品系工場の跡地開発は関西においても発生しており、工場跡地における都市的開発は人口の都心回帰の指摘に適合するものであることも確認された。また、工場の跡地開発の分析には企業か行政かという二者択一ではなく、都市環境を取り巻く時代背景に注意するとともに、開発主体の意思決定や交渉を慎重に検証することが求められる。

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