日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 102
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発表要旨
飯山市におけるアスパラガス産地の変容
*児玉 恵理
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抄録

農業協同組合(農協)再編や野菜の出荷先が多様化するにつれて,野菜産地の様態が変化している.従来の研究では,野菜産地の形成に至るまでに新たな野菜の導入・普及や生産者の結束において,農協の役割の重要性が強調されている.本研究では,アスパラガス産地に着目する.アスパラガスは,定植3年目から収穫可能となり,株は10~15 年維持できるという特徴がある.飯山市はアスパラガスの名産地であり,露地栽培が主流となっている.本研究の目的は,飯山市の栽培作物の変遷に着目して,アスパラガス産地の変容を明らかにすることである.飯山市では,コメ,ゴボウ,ナガイモ,ホップなどの栽培が盛んであった.飯山市は全国有数の豪雪地帯であるため,冬期には農業をすることができない.1960年代後半に農協の指導員が軽量野菜で収益性が高く,春の換金作物としてまた,飯山市の気候風土とも適していることから,アスパラガスを普及させた.さらに,1983年に発生した水害以降,ゴボウやナガイモなどの作物と土壌が合わなくなったことで,アスパラガスの栽培を始める農家が一層増加した.その後,飯山市の方針のもと,水田の転作として,1985 年ころにアスパラガスの団地化を進めていた.男性がアスパラガスを収穫および出荷を行い,女性が選別・結束作業に専念するというように分業が可能であったことも,栽培拡大に拍車を掛けている.1998~1999年には,飯山市における農協のアスパラガス生産量が1位となった.1999 年の2回にわたる水害発生以降,アスパラガスの連作障害が生じている.このことにより,アスパラガスの栽培面積が減少したり,アスパラガスから他の作物へ切り替えたりと,経営形態を変化させる農家が相次いでいる.後継者のいない高齢農家では,新たにアスパラガスを定植した場合,今後10年程度栽培しなければならないことを不安視し,離農することがあるという.その一方で,農業外就業者が定年退職後に自家消費用の野菜としてアスパラガスを栽培し始め,きのこ栽培の農家がアスパラガス栽培へ変更している.その背景には,飯山市の農協のアスパラガス指導員と道の駅併設の直売所の存在がある.なお,2005年に道の駅が開設されてから,ねぎ,ブロッコリー,野沢菜などの多品目少量生産型の農家が増加しているために,高齢かつ小規模農家は,道の駅併設の直売所に出荷する傾向にある.飯山市のアスパラガス産地では,連作障害によりアスパラガスの栽培面積が減少し,高齢化により農業従事者が減少している.農家が直売所に出荷するためには,多品目少量生産を行うことが有利な状況下にある.アスパラガスの場合,30年程度で産地が変遷していくという特徴がある.したがって,2000年以前は,飯山市のアスパラガス産地は,常盤地区でアスパラガスの栽培が盛んであったが,2016年現在は岡山地区へ移行しつつある.

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