日本地理学会発表要旨集
2008年度日本地理学会秋季学術大会・2008年度東北地理学会秋季学術大会
セッションID: 613
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山間集落における生業の変化からみた棚田の存立基盤
*吉田 国光
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抄録

1.研究課題
 山間集落における中山間地域直接支払制度などの地域振興政策は,全国画一的に実施される傾向にある.それらの諸政策は「ふるさと」や「原風景」をキーワードに,稲作を中心に据えた助成金の運用と地域振興である.稲作が経済活動に占める割合の高い地域においては,「棚田百選」に選定されることなどにより,棚田自体に経済的価値が付加され,稲作を機軸とした生業が経済活動として機能している.棚田に関する既往の研究成果では,稲作が経済活動として機能している地域を対象として,「棚田百選」等を利用した多様な取り組みについて,詳細な報告がなされている.
 一方で,現実には荒廃する「棚田百選」を有する地域も存在する.稲作の発展・維持が,山間集落における生計の維持に結びついておらず,経済活動に占める稲作の割合は低い.そのために棚田における稲作の維持が,経済活動として機能していない.このような地域において棚田の存立基盤を考察するためには,稲作の分析のみでは不十分であり,稲作を他の生業との複合的な関わりから考察する必要がある.そこで本研究では,一部が荒廃する「棚田百選」を有する山間集落において,生業形態が変化を追い,棚田における稲作がいかなる役割を果たし,いかにして稲作が継続されているのかを明らかにする.
 まず対象地域に居住する世帯の,第2次世界大戦前から現在にかけての生業の変遷についての聞き取り調査を行う.さらに,統計資料や村誌等の資料から聞き取り内容を補完する.次に,聞き取り内容から,機械化などの外的要因によりいかに生業の変化が起きたのかを明らかにする.そして,農外就業と農業労働力における男女差,作付体系などの側面に着目しながら,それぞれの世帯の生業がいかに変化したのかを分析する.

2.中条村の農業的特性
 研究対象地域は,長野県上水内郡中条村大西地区とする.中条村は虫倉山の南麓に位置し,村内の大部分は傾斜地である.集落はわずかな平坦地や比較的傾斜の緩やかな部分に位置している.集落周辺には多くの棚田がみられ,大西,栃倉,田沢沖の3地区は「棚田百選」に選定されている.かつては大小麦や大小豆,養蚕,楮,麻,タバコ,梅などの栽培が,農業経営の中心となっていた.現在,中条村における稲作は継続され,棚田は比較的維持されているが,畑地については3つの梅団地を除いて,多くが作付放棄されている.耕作放棄地が目立っている.また,人口は減少傾向にあり,2005年現在の老齢人口比率も44.6%となり,過疎化と高齢化が進行している.

3.大西地区における生業の変化
 大西地区の百選に選定されている棚田は,1847年(弘化4)の「善光寺地震」の地すべりで集落が埋没したところに,近代以降に造成された.大西地区では近世より畑作が卓越し,農業生産の中心は大小麦や大小豆におかれていた.その他に楮や畳糸にまで加工した麻を,虫倉山北麓の鬼無里村や戸隠村へ供給していた.さらに,蕎麦,粟,黍,稗,豌豆が自給用に栽培されていた.稲作の農業生産に割合は,1873年(明治6)においても11%にとどまり自給的性格が強かった.商品作物としては,生産量全体の約8割を占める大小麦と大小豆で重要であった.タバコと養蚕は近世より行われていたが,農業経営に占める割合は明治期以降に増大した.また,出稼ぎが行われていたが,恒常的農外就業はほとんどなかった.
 このような生業形態は,1950年代まで継続した.1960年代に入ると全国的に農業の機械化が進展した.対象地域においては,機械を使用できない傾斜度の大きい畑地から作付放棄が進んだ.一方,稲作は自給用として生産が継続され,棚田の放棄は進まなかった.その結果,農業経営における稲作への比重が相対的に増した.畑作の生産縮小は,主たる収入源を農外就業へと移行させた.就業先は長野市内の土木・建設業などであり,それにはおもに男性が従事した.そのために,農業経営における女性労働力の重要性が相対的に高まった.世帯内における農業労働力は絶対的に減少し,耕作可能な面積も減少した.経営規模縮小により,農業専業による生計の維持が困難になった.そのために後継者は就農せず,就職のために都市部へ移住し,対象地域では高齢化が進行した.
 対象地域において,耕作放棄地化と高齢化が進行するなかで,棚田の耕作放棄地率は畑地と比べて低い.この要因は,自家消費のために稲作を継続させているためである.この自給的小規模経営が,対象地域における棚田を存立させる基盤となっている.このことから,山間集落における稲作の存立基盤は,平地とは異なり,近年,軽視されがちな自給的小規模稲作経営にあるといえる.

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© 2008 公益社団法人 日本地理学会
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