日本地理学会発表要旨集
2007年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: S202
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国立地図学博物館の夢と現実
*西川 治
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抄録


I.国民性の弱点
 伊能大図( 約3 万6 千分の1 )全214 図のうち模写図でさえ、その大部分が日本では失われていた。ところがなんと、そのうちの207 図が2001 年3 月にアメリカの議会図書館地理・地図部(マデイソン記念館)で、渡邊一郎氏により発見された。そのニュースに接した時には、私も大きな衝撃を受けたし、同時にこれは国辱ものではないかと思った。日本の地図史上、これほど重要な文化財が異国に流出していたのだ。売却、寄贈、それとも接収か、この経緯は、まだ不明である。いずれにせよそのさい立ち合った日本人のなんたる地図認識の低さ、国土愛・郷土愛の希薄さ。これぞまさしく国民性の負のシンボル、科学的国土観・国際関係・異文化理解・世界認識などにとって一般図のみならず、各種主題図や歴史地図などがいかに必要不可欠であるか、それを弁えない為政者や、いわゆる文化人・有識者が多いことも、地理学科に入門してから60年余にわたり、他分野のさまざまな人びと幅広い交際を重ねるうちに絶えず痛感してきた。これぞ国民性的弱点の一つではないか、とさえ考えるようになった。その度に思い出すのは伊能忠敬(1745 -1818 ) とほぼ同世代の林子平(1738 ?-93 )の警告と司馬江漢(1747 - 1818 ) の嘆息である。いち早く対外的危機を著作によって訴えた林子平は「大いなるかな地理の肝要なること、けだし廊廟におりて国事に与る者、地理を知らざる時は治乱に臨みて失あり」と『 三国通覧図説』 。かたや先覚性を自負するあまり江漢にいたっては「吾国の人は、万物を窮理する事を好まず、天文、地理の事をも好まず、浅慮短智なり、予此日本に居て、吾国の人に差ふは、甚しき謬りなり」と断言してはばからなかった『 春波楼筆記』 。現代でもなおこうした同胞の弱点は根強くわだかまっているように思われてならない。

II.「国立地図学博物館」設立運動
 そこでそれを是正するだけでなく、国際化・学際化・情報化の進展する現代世界においてさらに地理・地図の肝要なることを立証するための具体的機関として、早くから「国立地図学博物館]の構想を育くみ、その実現に有効な各種地図展や啓発活動を展開してきた。たとえば東京大学に奉職中には世界各国のナショナルアトラスの収集に努め、1977 年には同教養学部美術博物館において特別展「地図の開く世界」を開催し、1986 年には同名の自著を出版した。折しも、学術会議第13 期の会員に選出されたが、地球環境問題や地理情報システムの研究開発も国際的重要課題になってきたので、それらにも即応すべき研究博物館として「国立地図学博物館]の緊要性が高まってきたと判断、地理・地図学両研究連絡会議が中心になって、そのための勧告案を作成、幸い昭和63 年(1988 ) 4 月21 日の第104 回総会で可決されて直ちに内閣総理大臣に提出されたのである。

III.実現に向けて
 この運動とも関連する大型の学際的研究プロジエクトを文部省や福武学術文化振興財団から研究費の助成を受けて、多数の研究協力者と次々に実施した。これらの研究成果と上記「勧告]並びに諸団体による実現推進運動等のお陰で、1998 年4 月に「東京大学空間情報科学研究センター」が創設されたのは、同慶の至りである。2006 年には東京大学柏キャンパスに研究所を構えてまもなく、全国共同利用研究施設に昇格、所長・所員一同の並々ならぬ尽力に敬意を表し、本来的な研究博物館へのさらなる発展に宿願をたくしたい。この間の経緯については拙著『 地球人の地図思考一世界地図博物館創設を願って一』 (2005 年、暁印書館)に詳述しておいたので参照頂ければ幸いである。なお、シンポジウムにおける発表では、「勧告」(当日主文を用意)に先行した財団法人地図情報センター(文部省認可)による地図博物館運動と、「勧告」に向けての積極的な支援活動についても紹介する所存である。

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© 2007 公益社団法人 日本地理学会
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