ジェンダー史学
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論文
ナチ・ドイツにおける強制断種と被害者に対する戦後補償
紀 愛子
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2021 年 17 巻 p. 21-33

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抄録

ナチ政権下のドイツでは、「遺伝病子孫予防法Gesetz zur Verhütung erbkranken Nachwuchses」と称された断種法のもと、30 万人以上の男女が本人の意思にかかわりなく断種手術を受けさせられた。同法律のもとで断種された被害者は、子どもを持つ可能性を強制的に奪われただけでなく、後遺症に苦しめられるなど、生涯にわたって続く被害を受けた。さらに、ナチ政権によって貼られた「遺伝的に低価値」「劣等」というレッテルにより、被害者は1945 年以降も精神的に抑圧され続けた1

こうした被害にもかかわらず、強制断種被害者は、1980 年代まで補償金受給の対象外とされてきた。後述するように、強制断種被害者への補償が最初に行われるのは、1980 年の一時金支給開始によってようやくである。戦後西ドイツにおいては、ナチ犯罪の被害者に対する補償制度が1950 年代から整えられ始めたが、その一方で、補償の枠組みに含まれない「忘れられた犠牲者」と呼ばれる被害者集団も存在した。強制断種被害者も、この「忘れられた犠牲者」の中に含まれる。

では、彼らはなぜ、戦後30 年以上補償対象に含まれなかったのだろうか。本稿では、ドイツにおける強制断種被害者に対する戦後補償の変遷を明らかにすることで、優生学に基づく断種が戦後ドイツにおいてどのように位置づけられたのか、そしてその被害者が戦後ドイツ社会の中でどのように扱われたのかを検討したい。

強制断種被害者に対するドイツの戦後補償については、日本では1990 年代に佐藤が当時の実状を明らかにしているほか(佐藤 1993)、補償に関する法律の邦訳に解説を付した山田の論考においても一部触れられている(山田 1996)。また、2000 年には市野川が、優生学に関する書籍の中でドイツの戦後補償にも言及しているが(市野川 2000)、その後は後続の研究が見当たらない。一方ドイツでは、2010 年代以降、ヴェスターマンやテュマースなど、強制断種被害者に対する補償の変遷に関する調査研究が盛んである(Westermann 2010)(Tümmers 2011)。本稿では、こうした近年のドイツでの研究成果や補償に関する最新のデータもとりいれながら、終戦後から現在に至るまでの強制断種被害者に対する補償の進展を描出したい。なお、東ドイツにおける強制断種被害者への補償に関する研究は、ドイツにおいてもまだ進んでおらず、現時点で包括的な描写をすることは困難であるため、本章では1990 年までの西ドイツ、および統一ドイツを対象範囲とする。

本稿ではまず、ナチ政権が成立させた断種法である遺伝病子孫予防法と、それに基づく強制断種の実態について概観する。その際、ジェンダーの観点から、断種政策における男女間の差異の有無や、断種手術が被害者の結婚や性、家族生活にもたらした影響についても言及したい。その後、被害者に対する戦後補償について、大きく1980年代以前と以後に分け、その進展を検討する。

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© 2021 本論文著者
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