日本物理学会誌
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最近の研究から
固体中のスピン量子ビットのコヒーレンスに対する一般化スケーリング
金井 駿
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2024 年 79 巻 1 号 p. 18-23

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抄録

色中心のスピンは固体中で外場から孤立した安定な量子ビットを構成する.中でも傑出したスピンコヒーレンス特性を持つダイヤモンド中の窒素–空孔複合体中心(ダイヤモンドNV中心)は,量子ビットの最も確立された材料系であり,量子計算,量子テレポーテーション,量子暗号通信,量子センシングなど,多彩な量子機能性を実現してきた.

近年,ダイヤモンドNV中心と類似の磁気的,光学的性質を持つSiC中の空孔–空孔複合体中心(VV中心)が,新たな固体中のスピン中心として理論的に提案され,実験実証された.SiCはダイヤモンドと比較して安価であり,また成熟した基板作製技術やドーピング制御技術が利用可能であることから,高度な電気的制御と検出をはじめとした新しい応用が期待されている.これまでに主に注目されてきた材料系とは異なる特長を持つ材料による,新たな量子機能を模索する機運が高まった.

電子スピンの量子ビット応用の可能性を決める性質の中で,量子情報を保持することが可能な時間は,忠実度を決める最も重要な特徴の一つである.特に,電子スピンのコヒーレンス時間(T2)はスピン中心と外場,すなわち母体材料との熱的,磁気的,電気的相互作用により決定され,材料の量子情報の保持時間の上限を決定する.ダイヤモンドやSiCのような単結晶のワイドギャップ材料においては,T2は電子スピン–核スピンの磁気的相互作用に支配される.磁気的相互作用を加味したT2は,密度行列の時間発展により計算され,ごく簡単な系に対する厳密解が半世紀前には既に報告されていた.一方,スピンダイナミクスに数千の核スピンが関連する実材料に対しては,莫大な計算コストによりT2の計算は不可能であると考えられてきた.

最近,計算規模を大幅に低減するクラスター相関展開(CCE)近似を適用することで,数日~数分で数値計算されたT2が実験結果を精度良く再現することが明らかになった.CCE近似によるT2計算を量子材料探索に適用することで,優れたT2が得られる量子ビット材料を同定することが可能である.

T2は有限の磁気モーメントを持つ核スピンの濃度に反比例(指数-1.0でスケール)することが理論と実験両面から知られている.我々は,CCE近似に基づくT2計算から,この濃度に対するT2のスケーリング関係を確認し,この関係が量子ビット向けの材料では結晶構造に依存しないことを明らかにした.さらに,T2のスケーリング関係を核スピンのスピン量子数,核スピンのg因子,電子スピンのg因子に拡張し,それぞれに対するスケーリング関係が独立であることを明らかにした.母体材料の磁気的相互作用はこれらの核スピン物理量により一意に決まるため,単体材料に対するT2の代数表現を得ることに成功した.また,単体材料のT2から精度良く化合物材料のT2を導く手法を明らかにし,最終的に一般の化合物材料に対するT2の代数表現を得た.

本表現によりT2を瞬時に予測可能である.結晶構造データベース上の12,000種のワイドギャップ材料についてT2を予測し,ミリ秒~数十ミリ秒の優れたT2が予測される天然材料を約800種明らかにした.このうち,ミリ秒のコヒーレンスが予測される材料は,SiC以外はすべて酸化物およびカルコゲナイドであることがわかった.最近の固体中のスピン中心を用いた新しい量子情報研究の機運が高まることが期待される.

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