日本考古学
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日本出土唐代鉛釉陶の研究
亀井 明徳
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2003 年 10 巻 16 号 p. 129-155

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抄録

本稿は,日本出土の鉛釉陶について,個々の出土品と遺跡の性格,唐三彩陶に関してわが国出土品の特徴,入手経緯とその将来者などについて考察したものである。
(1)唐代鉛釉陶のわが国出土遺跡数は,2003年1月現在,40個所(内,盛唐以前の三彩陶は35個所),遺構数は52である。
(2)盛唐以前の三彩陶(唐三彩陶と表記する)は,a.寺院跡・11,b.古墓・祭祀遺跡・3,c.官衙跡・9,d.住居跡・12の各遺跡から検出され,1遺跡1片程度が大部分を占めており,これらは貿易陶瓷ではなく,将来陶瓷であることを示している。
(3)その器種は限定されており,陶枕・碗(杯)の小型品が多く,三足炉・長頸瓶などの中型品は主に寺院跡から発見されている。この他に,晩唐・五代期の三彩・二彩釉陶の小型品が検出されている。
(3)唐三彩陶の生産開始時期は,紀年銘共伴資料では670年代であるが,白瓷竜耳瓶など隋代から連続する器種の編年から考えると,遅くとも650年代,おそらくそれを遡上する7世紀第2四半期に出現した可能性がある。
(4)わが国への唐三彩陶の将来は,7世紀後半に廃棄された遺構が確認できるので,生産開始時期からほど遠くない時期に始まり,遣唐使節構成員によってもたらされた蓋然性がもっとも高い。
(5)寺院講堂跡付近などから三足炉の出土が多く,長頸瓶・火舎とともに寺の必需品であり,遣唐使関係者によって,意識的に将来されている。大安寺の大量の陶枕も目的的に将来されたものである。
(6)わが国出土品のうちで多くを占める陶枕・杯などの小型品は,1遺跡1点程度と少なく,唐三彩陶は偶然的・非目的的・単発的な要素が強く,単に「珍奇」・「珍異」な唐物であるにすぎない。
(7)郡衙など官衙跡の出土は,政庁域の周辺部の居住域からが多く,唐三彩陶が公的な所有物とは考えがたく,農山漁村の住居跡出土品と同様に私的な所有物とおもわれる。
(8)西国および東国に多い郡衙周辺の竪穴住居跡などの出土品は,水手・射手など,遣唐使節構成員のなかでの下級者が揚州などの市場において,土産物の一つとして購入したものと推測する。
(9)都城域の出土品については,盤など上層貴族への寄贈品と,小型品は史生・画師・けん従など遣唐使節の下級者の将来と考える。

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