朝鮮時代中期の儒学者・尹善道が造営したいくつかの庭園遺構について現況測量や史料をもとにその構成を比較し, その背景にある思想とその推移について考察した。最初の隠遁地・芙蓉洞の庭園は治世のあり方を示す強い姿勢がみられるものであった。その4年後に築いた金鎖洞の居処・會心堂は山頂部に位置し, 実社会との関わりは薄くなる。しかし, 一貫して教育の場が設けられていた点はその隠遁にみられる特徴である。こうした隠遁のあり方は儒教思想が根強い朝鮮の隠遁の特徴を示すものであり, 儒教の捉え方に違いはあるものの中国と類似するものと言えよう。しかし, それは日本でみられた隠遁とは大きく異なるものと言える。