日本では終末期医療を中心に,スピリチュアルケアの議論と実践の蓄積がされてきたが,それは宗教的ケアとは切り離した形で進められてきた。では,非信者に対して宗教者による宗教的ケアは不要なのか。本稿では,宗教系病院における死亡した非信者患者及びその家族へのケアの一端を明らかにし,病院における宗教者による非信者患者や家族へのケアの意義や可能性,さらには「無宗教」と言われる日本人の死生観や宗教性の一端について示唆を得る。
天理よろづ相談所病院,キリスト教系病院A及びB,あそかビハーラ病院で活動する宗教者計23名に対し半構造化面接を行った。非信者患者の死後の「死者へのケア」としては,天理よろづ相談所病院およびあそかビハーラ病院では宗教者によるお見送りが,キリスト教系病院A・Bでは希望に応じたチャプレンによる葬儀の司式が行われていた。また,その家族へのケアとしては,キリスト教系病院Aでは月1回の遺族の分かち合いの会が,キリスト教系病院Bでは遺族カウンセリングが行われており,あそかビハーラ病院には院内の仏堂への遺族によるお参りの例があった。
これらの実践からは,「無宗教」を自認する多くの日本人とって,死後の世界や故人の魂につながるために必要な存在が「宗教」ではなく「宗教者」であることが示唆される。これまで地域コミュニティにおいてなされてきた宗教者による「死者へのケア」及び悲嘆者である遺族が「死者へのケア」をできるように宗教者が関わる「『悲嘆者の死者へのケア』をケアすること」が,病院付き宗教者に新たに求められるようになっていることが明らかになった。