2022 年 77 巻 5 号 p. I_291-I_302
本研究は,大阪北港株式会社設立期の経営地開発計画とその背景について,文献調査に基づき,以下の知見を得た.1) 住友家は,島家や藤田家も併せて会社を設立することで,統一した方針で経営地を開発する狙いがあったと考えられる.2) 年代としては,民間企業である大阪北港株式会社の経営地開発計画が先行して,その後に大阪市の法定都市計画が決定したが,両者には幹線道路沿いの商業や運河及び公園の位置といった類似点がみられた.この関係をもたらした要因として,住友家の代表者らが大阪市臨時港湾調査会に参加し,官民協力の開発方針が合意に達していたことや,経営地計画当初から行政側の人物も関与していたことなどが明らかになった.これらの人物関係を総合すると,正蓮寺川両岸一帯の開発は行政側の考えも内包していたと考えられる.