2017 年 27 巻 2 号 p. 32-34
筆者は血友病患者であり、様々な意味で当事者かつ被害者の側面を持つが、自らがいわゆる「当事者」であるという意識は強くはない。より正確には、「当事者性」をことさら前面に打ち出すことを避けたい想いが強い。本郷正武氏は、当事者あるいは被害者による訴訟や運動においては、“自分たちの主張は間違っていない”ことを裏付ける「正統性」が獲得されると指摘した。当事者・被害者には、一種の至上主義がつきまとい、その発言・行動は絶対化していく。筆者は、このような「当事者性」から距離を置き、第三者的ないしは客観的な立場で関わりたいと考える。血友病患者のHIV感染においても、被害者には、自分の身体・人生を壊されたという感覚——「“損なわれた”感」——が直截的で非常に大きい。しかしそこでは、患者がどんな情報を与えられ、判断を下し、それに基づいて医療が行われたかというあるべきインフォームド・コンセントの姿に基づく検証は、未だ十分ではない。