日本地理学会発表要旨集
2010年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: P912
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近現代における小規模・零細経営による味噌・醤油醸造業の地域的展開
長野県須坂市を事例として
*吉田 国光杉野 弘明
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抄録

1.研究課題
 本発表では,長野県須坂市の地場産業の一つとされる味噌醤油醸造業を取り上げ,味噌醤油醸造業が近代化とともに今日まで展開してきたプロセスの検討から,その存立形態を明らかにすることを目的とする.近年,地域活性化や町おこしの材料として地場産業への期待が高まっている.そのなかで,味噌・醤油は地域に根ざした嗜好性に支えられ「地域の食文化」との親和性が高く,B級グルメの流行などにより地域活性化に利用される事例もみられる.対象地域である須坂市においては,総人口53,668に対して5件の味噌・醤油醸造業者が操業し,商業活性化策の一つとして味噌が利用され,市内の飲食店で多様な味噌料理が提供されている.これらのことから須坂市は,今日までの味噌・醤油醸造業の展開過程を検討するうえで,好適な事例と考えられる.
2.長野県における味噌・醤油醸造業の地域的偏在性
 味噌・醤油醸造業における長野県の位置づけとして,味噌については全国1位の大産地であり,国内生産量の41.2_%_を占め,マルコメやハナマルキ,タケヤなどの大手メーカーが多数立地している.一方で,県内に143社の味噌醸造業者が143社あり,大手メーカー以外にも中小の醸造業者が多数立地している.醤油については,長野県の生産量は年間0.3万tで,全国31位であるものの,県内に醸造業者が53社あり,県内向けの出荷を中心とした中小規模の業者が展開している.  次に,長野県内の味噌・醤油醸造業の動向に注目すると,味噌と醤油醸造業それぞれに地域的偏在性がみられる.味噌については,醸造業者が松本市に18件と最も多く,次いで長野市で16件,岡谷市で15件となり,これらの市町村を含む地区で生産量も大きくなっている.須坂市を含む地区の生産量は年間534t(1965年次;公開されている最新年)で,長野県全体の0.4_%_であり,長野県他地区に比べて極端に少なくなっている.一方,須坂市の醸造業者数自体は,長野県の他市町村と大差ない.醤油については,醸造業者が松本市で9件と最も多く,次いで長野市で6件,須坂市で5件となるが,味噌に比べて生産量の地域的偏在性は小さい.
3.須坂市における味噌・醤油醸造業の展開
 須坂市における商業的な味噌・醤油醸造業は近世より展開し,14件の醸造業者が確認できた.須坂市は,近世より堀家1万石の城下町,3つの街道が交差する交通の要衝として栄えた.明治期に製糸業が発展し,大正期に最盛期を迎えた.明治・大正期を通じて,須坂町の味噌・醤油醸造業は製糸業の活発化とともに生産量が漸増しており,長野県他地区と同様に製糸業の発展にともなう都市化と密接に関わるなかで発展してきた.関東大震災以降,諏訪地区や松本地区の醸造業者では首都圏を中心として味噌の県外出荷を拡張し,醤油から味噌を中心とした経営形態に転換していった.一方,須坂町を含む高水地区の醸造業者は震災の救援物資として味噌を送ったものの,その後の継続的な出荷は行わなかった.須坂の味噌・醤油醸造業者は,一貫して須坂やその周辺地域への住民への供給を中心とし,小規模・零細経営によって味噌・醤油醸造業を展開させた.また,ほとんどの醸造業者は明治・大正期に醸造業を開始し,その他の業種との兼業形態が一般的であり,他業種からの収入が世帯の経済基盤を支えていた.そのなかで,醤油の方が商業的役割は高く,醤油醸造を中心においた経営形態であった. 第2次世界大戦後,長野県他地区では味噌・醤油醸造業者の県外進出がさらに拡大し,醸造業者の企業合同などが進んだが,須坂市の醸造業者は近代同様に小規模・零細経営により展開し,各醸造業者が独立性を保持し,各業者独自の味噌・醤油を醸造し続けてきた.味噌・醤油醸造の商業的性格は,高度経済成長という社会・経済的変動によって高まり,世帯の経済基盤が他業種から味噌・醤油醸造業に移行していった.さらに,1970年代以降,兼業農家の増加や自家醸造に対する風評等から,味噌は購入するものへと急速に転換し,各醸造業者は味噌を中心にした経営形態に移行した.一方で,販売先は従来通りの狭域な市場で完結しており,各醸造業者が小規模・零細経営ながら独立性を保持することで経営を維持してきた.その結果,長野県他地区の大手メーカーが「だし入り味噌」等の規格化された製品を全国市場に流通させていったことに対し,須坂市の味噌・醤油醸造業者で各業者の独自性を維持してきたことが,結果的に大手メーカーとの差別化につながり,味噌を中心とした小規模・零細経営による味噌・醤油醸造業が存立する基盤になりえたといえる.

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© 2010 公益社団法人 日本地理学会
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