日本地理学会発表要旨集
2007年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 401
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水環境からみた持続可能な農業
*山室 真澄石飛 裕平塚 純一
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抄録


1.はじめに
 昭和前半までの日本では,農村共同体の入り会い山などの定期的に管理運営された二次林が,人々の生活において重要な機能を果たしてきた。この二次林を「里山」という。周辺住民の生活に不可欠な肥料が下草刈りによって供給され,薪炭・木材などの生活物資や,山菜・茸などの食料も里山から供給された。そして,里山は人為的に管理されることによって生産性を高め,生物に多様な環境を提供し,水田とともに種の多様性を支え,日本人の心のふるさとともいうべき景観と,豊かな自然環境を維持してきた。
 水域においても森と海の関連性などを引きあいに,沿岸域や内湾などに「里海」という名称をつけるようになった。この「里海」で用いられている「里」の意味は,単純に人の生活空間に近い水域,という意味で使われることが多い。これに対して,「里山」というときに「里」という単語が意味するのは,単なる空間的な距離感だけではなく,その場所が自然のままの山ではなく,何らかの形で人為的に管理された生態系であることを含んでいる。すなわち,本来の生態系にある種を付加・除去したり密度を変えることで,目的とする構成種や密度が人間にとって望ましい状態に維持される状況を内包しており,近年になって欧米で注目されている「バイオマニピュレーション」が,日常生活とリンクして発達した成果が「里山」であるともいえる。

2.1950年代半ばまで行われていた湖沼の里山的利用
 1950 年代はじめ(昭和 20年代末)までの日本各地の湖沼沿岸域では,沈水植物帯が広く発達していた。そして,この沈水植物帯は肥料目的で採草されることを通じて周辺の住民の生活に密接に結びつき,独自の肥料藻文化が形成されていた。沿岸の漁民であり,農民でもある人々は,沈水植物だけでなく魚介類など,湖沼から得られる様々な生産物を周辺の農業生産に不可欠な肥料として利用していた。
 多様な水産資源は肥料や食料だけでなく,貝殻は貝灰として肥料や漆喰に,海藻は糊の原料に,そして水草は害虫駆除にも使われ,ヨシは屋根に葺かれたり葦簀にされ,ガマは編んで籠にするなど,湖の生産物は生活資材の原料としても様々に利用されてきた。そして湖の周囲で育つ子供たちにとって,そこは遊びの場であるとともに,学習の場でもあり,惣菜の原料となる食用水生生物も容易に捕獲できる場所でもあった。
 これらの生業は,本来は栄養塩が蓄積する経路が多い生態系に,湖から外へ出ていく新たな栄養塩のパスを構築し,水域環境を望ましい環境に維持管理し,持続的な生態系の利用を可能にしていた。
 このような観点に立てば,かつて広大な沈水植物帯を維持していた日本の多くの湖沼の自然環境と,そこで暮らす人々の生活のあり方全体を含めて,かつての日本に存在していた文化は「里湖(うみ)」文化と呼べるものであろう。
 本講演ではこの里湖文化の実態,当時の栄養塩循環の推定,里湖文化崩壊過程などを中心に紹介したい。

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© 2007 公益社団法人 日本地理学会
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